食べるために生きる→生きるために食べる

子供たちへ

メンターの野人さんのブログ「人は生きるために食べる
のタイトルを目にしたとき、
地球上のほとんどの生き物は、「食べるために生きる」
つまり、「次の食事を行うための行動をほとんど毎日、一生している」が、
日本人のほとんどは、「生きるために食べる」、
つまり、「明日、生きるために食べている」と思いました。

「明日、生きるために食べている」
というのは、日本に生まれて普通に生活していれば、
「明日、食べられるという確証がある」
言い換えれば、「食べられない日というのは、一生ない」
と思っているから、「生きる」つまり、「生き方」が自由であり、
さらに自身や家族が健康であれば「生き方」の制約が無くなり、
選択肢が多すぎて、「生き方」や「仕事」や「恋愛」に悩んで、
決めきれないのだと思います。
本来、人間も「食べるために生きる」が正しく、
「自分(や子供や孫)が死ぬまで食べることができるように、
今日を生き、1日の中の判断や選択もそれを基準に行う」
というのが正しいのではないでしょうか。
そして、死が身近に無い毎日を送っているので、
「自分(や子供や孫)が明日、早ければ次の瞬間に
死ぬという事を忘れて、時間を過ごしている」
ような気がします。
逆に制約が多くても、考えられなくなり、
現在の生活を維持しているということも
考えられます。

いろいろ、複雑に考えてしまいますが、
「今日、生きられる事に感謝して、
孫も楽しく生きられるように頑張ろう」
と思います。

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