区別という差別

子供たちへ

最近、ADHDや自閉症や障がい者など、
区別という名目での差別や権利主張が
本当に多いと感じます。
人間は、多様性を維持して進化しているため、
実に色々な人がいるのですから、
様々に違っていて当然です。
上記の特徴は、排他的に形成した
多数派を占める日本の現代社会に溶け込むのが
少し難しい特徴を持っているだけだと感じます。

動くことが多くたって、
人と話すのが苦手だって、
歳をとっていることだって、
耳が聞こえないことだって、
目が見えないことだって、
ただの特徴です。
血液型と同じように、
自分や他人を分類しているだけではないか、
と私は思っています。
その上、その特徴を持った人で集団を作り、
特別扱いをして欲しいと、権利主張をしだしたり、
自分で殻にこもり、その特徴があるから、
何かができないと言い訳に利用したり、
やっかいな事が多い。
私自身、ADHDの項目を見ると、
すべてに当てはまるので、ADHDだと思います。笑
さらに自閉症の項目にも当てはまりますけどね。笑
その上、強迫性障害だったり、朝起きられない日や
指が痛くて動かない日もあったり、ボロボロです。笑
だけど、
毎日お酒を飲まないと寝れない人、
憎まれ口ばかりを言う人、
わがままでやりたいことを押しつけてくる人、
欲望のままに太った上でご飯を残す人、
すぐに怒る人、
、、、
よりは、よっぽど幸せな特徴を持ったと思っています。
日本では小学校から、
特殊学級、ヤンキー、多動、、、
と教師たちとは異質な生徒を区別をするのに対し、
イタリアでは、
こういった差別をなくすため、
1970年頃から特殊学級を廃止したり、
精神病院を廃止しています。

ある特徴を持った人を
区別することや隔離することで、
一般社会のその人たちへの対応力を弱め、
腫物を扱う状況を作り出してしまうことを防ぐことが
一番大切な事ではないかと思います。
自分が普通だと思うことが
間違っているという次元で、
他人が変だと思うことが、
間違っていると思っています。

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