僕たちは世界を変えることができない。変えられるのはほんの少し、そして自分。

しあわせになる方法


子供と一緒に慰霊の日に映画を見た。
なんだか、絶大に良かった。
ふと選んだのは、
”僕たちは世界を変えることができない。”
でした。
自分のやる気を出そうと思って、
見ただけなのかもしれませんし、
友人の友人がカンボジアに行っていたからかもしれません。
そして、見ながら思った事。
・困っている人を助けたいと思うのが人情
・みんな何かをしたいと思っているけれど、やり方が分からない
・やれるように、ハードルを下げてあげる
・自分を固定化すると進める
・流れを変える人はお金や時間を使って固定化させる方法を使っている
・何に固定化するかはきっかけ次第、出会うまでにどの属性が伸びているか
・一人では勇気が無い事も、誰かが引っ張ってくれて、自分も引っ張ってて導きあえばできる
・結局人間は残酷性を持ち合わせている
・多くの人は指示されて許されると殺人でもどんなことでもできる
・死ぬほど嫌なことをやれと言われたら素直に逆らおう
・自分と意見の合わない人を拘束するのが牢屋
・誰かの上に立ちたいと思う人はいる
・知力は、腕力と同等以上の力を持つ
・学校では知力を教えている
・努力できるというのは日本人の特性かもしれないし、学校で教えてくれることの一つ
・努力しないというのも価値観
・魚をあげるのはダメだけど、釣り方を教えるだけでもダメ、本人が釣る習慣を作るまで教える
・文明の使い方を間違うと地雷原になる
・今も地雷原に住まなければならない人がいる
・自由ということに感謝する
・日本は平和で窓の外では選挙カーが平和を求めて騒音を出している
・世界には色々な人がいる
・どんな状態でも笑顔になれる
・自分も回している社会に助けられているから食べ物を買うことができる
・世界は変えられないけれど、ほんの少しは変えられる
・世界をほんの少しを変えると自分が大きく変わる
映画を見た後に、
「何度か泣いたー。悲しかった。
カンボジア行ってみたい。」
と小2の長女。
「自分が豊かだと気が付かないとね。」
と私。
「学校に行けることに感謝しないとね。」
と相方。
「おやつー。」
と次女。
一気に現実に戻る子供達。
未だに戦争や暴力を肯定するような映画を作る人々がいて、
それにお金を出す人や見る人がいる。
残虐性や逆襲を肯定する。
つまり暴力のスパイラルの文化を作っている。
また、武器を作る人もいる。
暴力がある事への警告や発散の場を求めているのかもしれないけれど、
人間の知恵は、未だに欲望には勝てないと思う。
ただ、自分のした行動の結果、
何が起こるのか、そこは想像した方が良いと思った。
暴力的なものに関わらないし、お金を使わないと同様に、
子供に戦隊ものや冒険ものの漫画を読ませるのは、
できるだけ、やめようと思う。
自分自身は、暴力的な読書やTVや映画やゲームに
散々時間を費やしてきて、それが良い事ではなかった
という反省を今更ながらした。
人間の多様性に残虐性が必要なのかもしれないし、
世の中には、あふれているのだと思う。
でも、単純に、肉を食べるために動物を殺すように、
残虐性を満たすために人間に暴力をふるうのであれば、
暴力を受ける方が自分にはあっているのかもしれない。
本当にやりたくない事をやらなければならないのであれば、
必死でやらない方法を模索して、
最後は死も受け入れようと思った。
話をこの映画に戻すと、
実話をもとにしたストーリーなので主人公の方は、
それぞれ、自分を何かに固定化して
進んでいるんでしょう。
さて、私もやる気になろう!
変えたい状態はある。
コップ半分の水と同じ。
それをどうとらえて、どうしたいかは、自分次第。
どんなことでも変える方法は、唯一。
 自分を変えることである。
時間は止まらない。人生は何をやるかだけだ。
 自分しか世界を変えることができない。

コメント

  1. Tomofumi hentona より:

    はじめまして、急なコメントでスミマセンまさか釣りブログで同じ考えを持っている方がいる⤴って久々に心が高揚しました‼ありがとうございます良ければフェイスブックでお友達になりませんか?

  2. Tomofumi hentona より:

    お返事ありがとうございます。特に共感したのは、みんな何かをしたいと思っているけれど、やり方が分からないと思っている人達が多くいると自分は感じています
    日々、身近な世界から変える為に自分が変わらなきゃなってね‼

  3. Tomofumi hentona より:

    釣りごろさんのブログ見ると直感力が凄い‼と感心させられますとにかく行動力が大事なんですね釣りと一緒ですね(笑)

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