2年ほど前に、死にたくないと思い続ける1年を過ごしました。
1年程前に、自分の命で助けられるならと思う出来事がありました。
そんな事があっても、今、のんきに日々を過ごす自分がいます。
「命とは時間である。」
たぶん、理解しています。
「健康が一番大切である。」
それも、理解しています。
ただし、行動できているかと言えば、微妙です。
ある程度、対応できているかのように思えて、たぶん、出来ていないのです。
平均寿命の半分ぐらい生きました。
ただ、平均寿命は平均であって、今死ぬ事もある。
老化を感じる年齢になったためか、機能の低下を感じ、同時に残り時間の少なさを感じる。
「命を大切に」の同義は「時間を大切に」
ということも理解しているのですが、
「ゆっくりとした時間」
の楽しみ方も覚え始めました。
どんな人生にも正解や不正解はなく、生存した者が勝者なのだと分かってきました。
つまり、人は常に生存競争しているわけです。
自分が生きる事も生存競争ですが、どうやら必ず死ぬようです。
人は、死ぬ事が、進化を促進させ、種が生存するというシステムを持った生き物のようです。
イチゴなどの植物のように、種子でも増えるし、ランナーでクローンを作る事も出来る。
そういう進化をしたのではなく、変化する事を基本にした進化の方法を選びました。
その変化の一つが、世代を終わらせる死なのでしょう。
仲間と協力し合う事で、自由な時間が増えました。
その自由な時間をどう楽しむかが、生存競争で重要になってきているように感じます。
そんな中、選択肢が増えすぎて、情報が多すぎて、自分を見失う事が良くあります。
すべて自分で選んでいるのだけれど、それに気がつかないのです。
選択をするとは、未来を選ぶ事に繋がります。
何かの情報を得る事、文字を読む事も、選択しています。
簡単な何かの行動を起こす事も、裏で膨大な情報に基づき、選択しています。
その膨大な情報の一部でも見える化すると、行動に迷いが無くなります。
私が命よりも大切なモノは子供達であり、社会的に残したいモノです。
人、それぞれが、命よりも大切なモノを持っているけれど、方向性が違って異なっています。
その方向性が同じであれば仲間になり、反対にあると敵になるのかもしれません。
生存競争に勝つ事。唯一、私が自分の経験から子供に教えるべき事なのです。