仕事で講話を聞くことがあり、
色々と考えをめぐらしてみた。
自分の時代は良かったが、
これからは、不安な時代だ。
だけど対処方法は自分で考えなさい。
という、私の中の一番駄目な思想で始まったので、
正直、どうかなという印象(^^;
いつの時代もどの国だって不安なのです。
どんな状況にも対応して戦争や氷河期でさえ
次の世代への命をつないできたのが人間です。
自分の子供の対応力を育てられなかったら、
親の責任で自分の血筋は淘汰される。
それが生き物としての人間の生き方である
と私は思っているので・・・
自分が作った時代が不安の開始であるのに答えを出さず、
次の世代の不安を無責任にあおるのは、人を不幸に導くので、
そんなことをする人は、姨捨山に行きなさい!
と思った次第です。
まぁ、不安をあおっているのは、
ほとんどのメディアに言えることですが・・・
ただ、トップは実績のある方なので、
本質にも色々なとらえ方があり、
社会的な(表面的な)本質は、
とらえられている感がありました。
しかし、私が考えている本質は、
やはり、生物としての人間に必要な
「衣食住」
を基本とするものということを再認識しました。
衣:
単位は時間。
無いと数時間~数十時間で命を奪われるもの。
また、衣服意外に、環境によってはナイフなどの道具も含めて、
身に付けている物を指します。
食:
単位は日。
無いと数日~数十日で命を奪われるもの。
逆に考えれば、人間は数日食べなくても
生きていける進化をしている生物と言えます。
何かに頼らなければ食を得られない状況は不安。
※たぶんこれが今の豊かなのになんとなくの不安感の原因。
住:
単位は月、年。
夜に安心して眠り、子供を育てることができる場所。
無いと次の世代に命を引き継ぐことが難しい。
この本質的に必要なものが満たされていれば、
不安には基本的にはならないはずです。
では、なぜ不安になるのか。
遊
が減るのが不安なのだと思います。
道具(エネルギー)を使うことで、
「衣食住」に費やす時間が短くなりました。
その代わりに「遊」に費やす時間が増えました。
それが減るのが不安だと思っている気がします。
ちなみに観光の本質は、「遊」にあたるのですが、
「衣食住の試食」
という感じで人間の本能的な欲求と思いました。
アフリカで人間が発生してから、
グレートジャーニーで地球中に広がるまで、
発展をしたのは「観光」という本能的な欲求が
あるためだと考えています。